2.7.応用
2.7.1 酸化型標準物質の測定
変換ストリッピングの測定例として、ルテニウムヘキサミンを検出した結果について述べる。ルテニウムヘキサミンは酸化状態で溶存している可逆な酸化還元物質で変換ストリッピング法の標準物質として適当である。
図7に測定系のブロック図を示す。
測定セルはテフロンビーカーを塩橋で接続し、塩橋はガラス細管に飽和硝酸カリウム溶液を収容し両端をバイコールガラスで塞いだものを用いた。測定サンプル用の左セルにはIDA、Ag/AgCl 参照電極、Pt 対向電極を配置し、析出物質用の右セルにはマクロ電極としてグラッシーカーボン(GC)電極を配置した。参照電極、対向電極はポテンシオスタットの所定の端子に接続し、くし形電極の二つの電極端子およびGC 電極端子はスイッチボックスを介してポテンシオスタットの作用電極用端子に接続した。
このスイッチボックスは前電解段階とストリッピング段階を切り替えるためのもので、前電解段階では一方のくし形作用電極(ジェネレータ)をポテンシオスタットに、もう一方の作用電極(コレクター)はマクロ電極に接続し、ストリッピング段階では、マクロ電極をポテンシオスタットに接続する回路が組まれてる。
サンプルはルテニウムヘキサミンをpH4 の標準緩衝溶液に溶解して調整した。析出用の溶液は硝酸銀を硝酸カリウム水溶液(0.1mol/dm3)に溶解させたものを用いた。変換ストリッピング法によるルテニウムヘキサミンの検出は以下のように二段階に分けて行った。
図8に示すように、第一の前電解段階ではジェネレーターの電位をルテニウムヘキサミンの酸化還元電位より十分低く(図では-0.4V)に設定し、ルテニウムヘキサミンの電解を続けた。この間、硝酸銀溶液を攪拌し続けた。あらかじめ設定した時間(前電解時間)の後、攪拌を止め、10 秒間の静止時間の後、直ちにスイッチを切り替え、第二段階のストリッピングを行なった。ストリッピングではGC 電極電位を-0.4V から0.5V まで20mV/Sの掃引速度で掃引した。この時GC 電極の電位−電流曲線(変換ストリッピングボルタモグラム)をレコーダーに記録した。得られたルテニウムヘキサミンの変換ストリッピングボルタモグラムを図9に示す。
ルテニウムヘキサミンの濃度は1μ mol/dm3である。(a)はルテニウムヘキサミンの前電解を-0.4V で10 分間行った後に得られた銀イオンのストリッピングボルタモグラムである。これに対して、(b)は前電解を0V で10 分間行った後に得られたものである。(c)はルテニウムヘキサミンを含まない溶液で前電解を-0.4V で10 分間行った後に得られたものである。
ルテニウムヘキサミンが存在し、その電解が行われていた時のみ大きな銀のストリッピングピークが観測された。またコレクターとGC 電極の間に電流計を挿入し、前電解段階に流れる電流をモニターしたところ、前電解を開始して30 秒ほどして定常状態になることが確認できた。
以上のことから、変換ストリッピング法では、左セルのルテニウムヘキサミンをジェネレターで還元し、発生した還元体をコレクターで酸化し、酸化反応で発生した電子は右セルで銀イオンの析出に用いられることが明らかになった。またコレクターで発生した酸化体は再びジェネレータで還元される自己誘発レドックスサイクルを形成するために、コレクター−GC 間を流れる電流は定常状態となることが明らかになった。
従って、前電解時間と銀の析出量は比例することになり、長時間の前電解は低濃度の検出に有効であることが示された。
(a), ルテニウムヘキサミンを含む溶液を-0.4Vで10 分間前電解。
(b), ルテニウムヘキサミンを含む溶液を0V で10 分間前電解。
(c), ルテニウムヘキサミンを含まない溶液を-0.4V で10 分間前電解。
電位掃引はすべて20mV/S
(a)ルテニウムヘキサミンを含む溶液で測定,(b)ルテニウムヘキサミンを含まない溶液で測定。各ボルタングラムの右の数字は前電解時間。0.3V の位置に現われたピークがルテニウムヘキサミンの検出を示す。
図10は10 pmol/dm3のルテニウムヘキサミンに変換ストリッピングを適用した結果である18。より小さいストリッピングピークを観測するためにGC 電極の面積、銀イオン濃度等の条件は図9の場合とは異なる。(a)はルテニウムヘキサミンを含む溶液(b)は含まない溶液で得られたボルタモグラムである。(a)では0.3 Vの位置に前電解時間に依存したストリッピングピークが観測されたのに対して、(b)ではそれに相当するピークは観測されなかった。 また図11に変換ストリッピング法のキャリブレーションカーブを示す19。
横軸はルテニウムヘキサミンの濃度、縦軸は10 分の前電解時間で得られたストリッピングピークの大きさである。p mol/dm3領域でこの検出法はよい直線性を示した。また図中の実線はくし形電極の限界電流値14とピーク幅より得られた計算値で、実験値とのよい一致を得た。
前電解時間は10分間。実線は計算値。
変換ストリッピング法では通常の電気化学検出法で得られる検出電流に比べて非常に大きな検出電流を得ることができる。変換ストリッピング法で用いたくし形電極を通常の電気化学検出法で使用しても10 pmol/dm3のルテニウムヘキサミンの検出はできないが、計算値で評価すると、ツインモードでの限界電流値は0.8pA である5 。これに対して、変換ストリッピング法で20分間の前電解で得られたピークの実測値は0.5nA であり630 倍の検出信号を得たことになる。さらにレドックスサイクル効果を利用できない単電極では、検出電流が十の一程度の低い値のため、増幅効果はさらに大きくなっている。