資料室


3-5 リソグラフィ電極

1) リソグラフィ電極:くし形電極の特徴

電気化学 検出法は、通常、溶液に電極を浸し電位を印加すると、目的とする物質が電極上で電子を授受すること(酸化還元反応)で生じる電流を測定することによって物質を定量する方法です。
一般的にこの反応は、物質が電極上へ拡散してきて電極と電子を授受したのち、溶液へ拡散していく過程から成り立っています。ここで電極の面積を小さくしていくと電極への物質の拡散状態が電極形状によりリニアから(半)球状や(半)円筒状に変化するため、単位時間、単位面積当たりに到着する物質量が増加します。その結果、電流密度が増加しS/N比が向上します。また電極面積が小さいため電極界面に生じる電気二重層への充電電流が小さくなり、高速な応答が可能となります。

かみ合ったくし形電極(IDA,Interdigitated Array Electrode, 図 3-15)はくしの歯形状の二つの微小バンドアレイ電極をかみ合わせた対電極です。くしの一方を測定物質の酸化電位に、もう一方を還元電位にすることによって、2つの電極間で物質の酸化還元を極めて効率良く繰り返させることができます。
このレドックスサイクルによって見かけ上、電流値を増大させることができます。

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図3-15.くし形電極の構造

図3-16は、くし形電極の一方のみあるいは両方をポテンショスタットに接続した際の、フェロセンのサイクリックボルタモグラムです。くし形電極の一方のみに電位を印加した時のサイクリックボルタモグラム(シングルモード)は電極全体が1つの方形電極と同等な振る舞いを示します。
これに対して、一方の電極(ジェネレーター)の電位を掃引する間、もう一方の電極(コレクター)をフェロセンの還元電位に保持しておくと(ツインモード)、ジェネレーターの電位がフェロセンの酸化電位になった時にレドックスサイクルが起こります。すなわち、ジェネレーター側にはフェロセンの酸化電流が、コレクター側には拡散してきたフェロセニウムイオンの還元電流が観測されます。還元されたフェロセンは再びジェネレーターへと拡散していき、酸化と還元を繰り返します。
この時観測される酸化電流と還元電流の比は捕捉率と定義され、電極幅と電極間隔が小さくなるほど捕捉率は向上します。ただし、ミクロンオーダのサイズになると捕捉率はほぼ100%になり飽和します。シングルモードでの酸化電流は掃引速度に依存しますが、数mV/min 以下になるとほぼ定常な応答となります。

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図3-16.くし形電極によるシングルモードとツインモードとの比較

この時の酸化電流とツインモードでの酸化電流の比はレドックスサイクル数とよばれ、電極幅や電極間隔が小さくなるに従って大きくなり、例えば、図3-16の場合、ツインモードではシングルモードに比べて40倍以上の電流が観測されています。
くし形電極においては、隣り合う電極間で酸化体と還元体の濃度勾配が直ちに形成されるため、定常状態に達する時間が短く、ヒステリシスの小さい、大きく増幅されたシグモイド波形が得られます。この時の定常電流は電極の形状と測定する物質の濃度・拡散係数で決まり、その大きさは解析的に求められており、通常は以下の近似式を用いることができます。

I = mbnFC*D{0.637 ln(2.55w/g) - 0.19(g/w)2}

ここで、I は電流、m はくしの数、b はくしの長さ、F はファラデー定数、C* は濃度D は拡散係数、w は電極幅と電極間隔の和、g は電極間隔です。またツインモードではジェネレーターとコレクターの両方でシグモイド形の波形が得られるが、低濃度サンプルではジェネレーターは電位掃引に伴う充電電流の影響を受けるためにシグモイド形が崩れていき、試料の分析が困難になります。これに対して、コレクター側では電位を固定しているので、充電電流の寄与がないため、低濃度サンプルでも波形は崩れにくく、10-8mol/l の検出下限が得られます。

2) 電極材質

リソグラフィを用いて作製する電極は、薄膜形成技術やエッチング時のマスク材などの制約から金属が一般的であり、代表的な電極材料としては、白金や金が用いられます。
確かにこれらの貴金属は、広い電位領域で安定であり電極自身の溶解反応で妨害されることなく目的の電気化学反応を行うことができ、通常の電気化学分析における電極材としても用いられてきました。そして、白金や金に比べてさらに電位窓が広いカーボンの微小電極が望まれていましたが、微細加工が困難であるため、微小電極として用いる場合でもカーボンファイバーを束ね端面を研磨して電極として用いる方法など電極形状を制御できない方法が主流でした。しかし、カーボン薄膜の微細加工技術の開発により、カーボンマイクロアレイ電極が実現されました(5)

図3-17に白金、金、カーボンのくし形電極でのベースラインを示します。溶液中には、酸化還元物質を含まないにもかかわらず、測定器のレンジを拡大していくと、白金、金のくし形電極では、残余電流が流れていることがわかります。これに対してカーボンのくし形電極では残余電流が小さく、特に電位固定電極では非常にフラットなベースラインが得られ、低濃度溶液の検出に適していることがわかります。
カーボン微小電極の特徴としては電位窓が広い他に、電気化学的活性化が容易、表面修飾が容易などの優れた電気化学特性を有しています。

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図3-17.pH 7 PBS中での白金、金、カーボンくし形電極によるボルタモグラム

3) 液体クロマトグラフィ検出器としての応用

通常、測定試料には何種類かの物質が混合されているので、これらを分離して定量する必要があります。この分離のために液体クロマトグラフィを利用し、その検出器としてくし形電極を用いることが検討されています。特にこれまでの液体クロマトグラフィを用いると、分離カラムの容量が大きいため、試料も多量に必要となり、生体系の実験などにおいて、少量の試料しか得られない場合には、大きな問題となっていました。
この問題を解決するには、容量の少ないマイクロカラムを用いることが有効ですが、検出器の感度は流量の低下に伴い低くなってしまうため、低速でしか流せないマイクロカラムを用いると検出感度が低下してしまうという問題がありました。しかし、くし形電極を用いた場合、酸化還元反応を繰り返させるため流速低下による影響を抑え、高感度で検出することが可能になりました。

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図3-18.FIA分析によるくし形電極をシングルおよびツインモードでの流速依存性

図3-18はフローインジェクション分析においてくし形電極をシングルおよびツインモードで用いた時の電流の流速依存性を示します。シングルモードの時には流速の1/3乗に比例して電流が減少しているのに対し、ツインモードでは低速になるに従って電流値がサイクリックボルタンメトリでの限界電流に近づきます。マイクロカラムを用いると、0.1ml/min 以上の流速での測定は困難ですが、低流速における測定において、くし形電極は非常に有効であることがわかります。特に、カーボン製のくし形電極は、前述のように残余電流が小さいため、pA レンジの測定においてもノイズが少なく他の貴金属電極に比べて高感度の測定が可能となりました。このマイクロカラムを用いる液体クロマトグラフィと、カーボンくし形電極の組み合わせにより、測定に必要なサンプル量は5µlと注射器の針の先のひとしずくで、分泌量が極めて少ない生体の神経伝達物質の超高感度測定が可能になります(7)、(8)

図3-19は、神経伝達物質のDOPACとドーパミン(DA)の試料溶液をくし形電極を検出器とした液体クロマトグラフィで分析した結果を従来の電極での結果と比較しました。物質が十分に分離され、ノイズが極めて小さくなっているのがわかります。ドーパミンについては従来の検出限界の1/100の5fg、つまり1000兆分の5グラムあれば検出が可能です。

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図3-19.くし形電極によるDOPACとドーパミン(DA)の検出

4) 今後の展望

くし形電極ではレドックスサイクルのために、目的物質の濃度が測定によって減少することは原理的には起こりません。また、くし形電極の電極面に対して垂直方向の濃度分布は、隣り合ったくしの電極中心間距離程度内で殆ど決まってしまいます。これらのことから、くし形電極を薄層セルに組み込んで長時間の電解を行っても、目的物質が消費されません。さらに、変換ストリッピング9と呼ばれるくし形電極と通常の電極を組み合わせた新しいストリッピング法では可逆な物質を10pMという超高感度で検出することを可能にしました。またカーボンくし形電極を用いることは、残余電流を小さくするため各種電気化学測定においても非常に有効な方法です。

液体クロマトグラフィの検出器としては、今回用いたクロスフロータイプ(くし形電極の表面を横切るように溶離液が流れる)に対し、薄層セル中の電極の中心に上方から溶離液が導入され、電極にそって同心円状に流れるラジアルフロータイプがさらに高感度な測定ができるということで注目されています(10)。このタイプの検出器においては、注入した試料が100%反応してしまい、電極の全面が有効に利用されないことが起こります。これに対し、同心円状のマルチング電極を用いれば、レドックスサイクルによる試料分子の再生が行われ、試料が100%消費されてしまうことを防ぐことができると考えられ、今後の発展が期待されています。

5) 参考文献


1)青木幸一:電気化学および工業物理化学, 56, 608 (1988).
2)K. Aoki, M. Morita, O. Niwa, H. Tabei, J. Electroanal. Chem., 256, 269 (1988).
3)O. Niwa, M. Morita, H. Tabei, Anal. Chem., 62, 447 (1990).
4)O. Niwa, M. Morita, H. Tabei, Electroanalysis, 3, 163 (1991).
5)H. Tabei, M. Morira, O. Niwa, T. Horiuchi, J. Electroanal. Chem., 334, 25
(1992).
6)M. Takahashi, M. Morita, O. Niwa, H. Tabei, J. Electroanal. Chem., 335,
253 (1992).
7)H. Tabei, M. Takahashi, S. Hoshino, O. Niwa, T. Horiuchi, Anal. Chem., 66,
3500 (1994).
8)O. Niwa, H. Tabei, B.P. Solomon, F. Xie, P.T. Kissinger, J. Chromatography
B, 670, 21 (1995).
9)ECテクニックガイド, BAS, p48〜53.
10)C.E. Bohs, M.C. Linhares, P.T. Kissinger, Current Separations, 12(4),
181(1994).


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